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『お話しましょ』で返信しているうちに思い出した事。 実現できないかもしれないので、夫にしか話した事がない。 心の奥底にしまっておこうと思っていた。
出産を経験する度に思ってた事。 ・・・耳の不自由だった母は出産の時、どんなに不安だっただろう・・・
3回ともそう思った。 私は安産で産まれたらしいが、弟は大難産。死ぬか生きるかの瀬戸際だった。 私は小学校1年生で、父が神妙な顔で迎えに来たのを覚えている。 出産って喜ばしい事なのに、笑顔一つ無く父は「弟が産まれたんだ」それだけ言って病院に連れていった。 OPE室の待合室で長い時間待たされた。周りがバタバタしていて・・・・あの時代に、新鮮血での大量輸血。 (今でも肝臓を患わず、健康でいられるのが不思議なくらい) 弟を産み、その後出血が止まらなかったらしい。 『ガクガク振るえて寒くて、よくわからないまま気を失ったみたい』今でも母はそう話している。
安産だって産むまでとても不安だし、苦しいと言うか痛いし、この痛みがどこまで続くとか、どうすればいいとか、とにかく不安なわけで。
陣痛で苦しんでる時は目など開いていられない。文字を読むのも苦痛だろう。 耳が聞こえるから、うずくまって苦しんでいても、後から声をかけられたりする事で安心する。 痛い所(腰)を摩ってもらいながら、アドバイスを受け、優しい言葉をもらい頑張れる。 出産の時だけでは無い。とにかくデリケートな部分なので、いつだって心細い。
出産を無事終えて、落着いてからフと思う。 手話が出来る人がいたらどれだけ心強いだろう。聴障者の理解者がいるだけで、どれだけ違うだろう。
マルを出産した後に、夫にはなした。
『ずっと先の事だけど、子育てが一段落したら1年位助産婦の勉強をしたいな。本当に出来るかわからないけど、助産婦の資格を取って、産婦人科に勤めたいな。』
人生いろいろ~♪で、密かな夢が変わっちゃったりするかもしれない。 一応、日本に戻って再就職するならそれだ!と今でも思ってます。 今の看護婦の資格でも産婦人科に就職はできるけど、もっと繊細な部分でお手伝いが出来ると思ったの。
人生いろいろなので・・・あしからずです。
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