多宗教多民族 ・
本当の自然分娩 ・
予防接種どうしてるなど、思想の違いについていろいろ考えた事があった。
初めに断っておきますが、
私は、宗教観を持って生きている方々を、尊敬しています。
しかし、数年前は違いました。
『宗教に頼っているだけなんじゃないか?信仰している人は弱い人なのではないか?』とも思っていた。ごめんなさい、正直に書いています。
過去の思想なので流していただければ幸いです。
これから書くことも、私の勝手な思想=願いでもあります。
カルト教という言葉を知り、宗教に良い悪いの判断を下そうとしたことがあります。(犯罪絡みの偽りの宗教は問題外です)
アメリカに来てみて・・・日本は今も鎖国状態じゃないかと思いました。
輸血を拒否しているとか、子どもに聖書ばかり教えているとか・・・
生食を避けるとか、○○は食べてはいけないとか。
日本にいるからそれが変に感じるのだと思う。
アメリカに住んで、本当にいろんな人がいるのだなと知りました。
○○をするべきではないと教えられているのではない、自分で選んでいるのだ。
と、様々な戒律を守る人が言います。
そう、自分で選んでいるのですよね。
自分の判断を押し付けようとしたのが、驕った行為だったのだと気付きました。
(過去に、ある宗教を信仰し始めた友人へ、いろいろとお節介な事をしたのですよ)
人の宗教観に入り込んで善悪を判断しようというのが愚かだったのです。
全てが善・・・全てが一つなんですよね。
人間が宗教や神という存在に、判断を下そうとするからおかしなことが起こるのだろうな。
グランドファザーを読んで嘘のような本当の話を私は信じました。
ずっとおぼろげに思っていたことを、確信させてくれたのです。
全ての宗教や信念は、同じスピリットによって結ばれている。
人がもし自分の宗教の真髄に到達し、宗教的な教義を全て捨てることができれば、
あらゆる道は最終的には真理にいきつく。
到達する道は異なっても、真理はひとつなのです。
どんな哲学や宗教にも学ぶべきものがあります。
正しい正しくないということではなく、真実があるだけなのです。
宗教や信念に関係なく全ての人々を受け入れること、
偏見というフィルターを通さずに人の教えに耳を傾けること。
ただ、教えばかりに気を取られ、自分の位置を見失ったりしないでね。
大気、炎、水、大地も生きた意識を持っている。
意識も人も全ての物と結ばれている。
いずれも万物の一部である。
それらのものに何かを行ったとすれば、
自分の肉体や心に対して行ったのと同じになる。
だからこそ私はこれからも、全ての物と結ばれていることを信じ、
全てに愛をもって接していきたい。
私は相変わらず無宗教です。(どこの宗派にも所属していないということ)
多分、枠にはまりたくないのだと思います。
それはそれで、それが私らしさなので良いと思ってます。
無宗派だからこそ、神は一つだと思えるのかな・・・。
(他の友達と話していて、ふと思ったのです。)
既にいろんな事を学んできている人にとっては、
他の宗派の神と一緒にすることを嫌う人もいます。
でも、全てがひとつなのだと私は思う。
全は善・禅・然・・・
日本語って素適。
ずっとここに書こうと思っていて・・・随分時間が経ちました。
きっと、これもそういう時期だったのでしょうね。
次はバイブルスタディについて書こうと思います。